公開日:2016.07.17 / 最終更新日:2018.11.03
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「ひと味違う」と言われる、腕と心を持った建築集団。
今なお山々とのどかな田園風景が広がる群馬県川場村に、1897年、大工として創業した株式会社関工務所。現在では4代目の社長、関 真一氏が初代からの大工魂を受け継ぎ、群馬県でも有数の老舗工務店として成長を続けています。今回は高崎営業所にて、社長の弟でもある専務取締役の関 敏孝氏に、大工魂と地域に密着した事業について話を聞きました。
「うちはおじいちゃんに建ててもらったんだよ」と
当社は私の曽祖父にあたる関 鶴吉が、大工をなりわいとして始めたことに端を発しています。以来、およそ120年。これまでに、川場村から群馬県内全域に至るまで、わかっているだけで1300棟を超える家を建ててきました。「わかっているだけ」というのは、社内にデータが残っているのはせいぜい1955年くらいから。それ以前にも50年以上の歴史があるわけですから、1400棟を優に超えているだろうと推測されます。川場村の建物については、半分以上を当社で手がけていると言っても過言ではないでしょう。私も社長である兄も、「この家は関さんのおじいちゃんに建ててもらったんだよ」と言われて、初めて認識したという経験があるんですよ(笑)。
会社組織になったのは1978年、現会長である父の代です。父自身も30代までは大工をやっていて、後継の大工を育てることにも情熱を注いでいました。大工の集団がだんだん大きくなって、そこに現場監督や設計スタッフが集まってきたというのが、当社の成長の足跡です。父は私たちに会社を引き継いだ後、川場村の村長を3期やったんですよ。今は現村長に託す形でリタイアしましたが、本当に地域に寄り添い、育まれて現在に至っていることを日々に実感しますね。
地域特性を考慮した木造住宅をメインに
当社が手がける新築は100%注文住宅で、「在来木造」という昔ながらの技術で仕上げる木造住宅を基本に、大空間でも強度を保てる地震に強い工法である「SE構法」も採用。地元の杉、桧、松などの無垢材を中心に、珪藻土やしっくいなどの自然素材をふんだんに使用しています。群馬県は夏は暑くて冬は寒かったり、雪が積もる地域があったりするので、断熱や遮熱、そして雪の重さに耐えるがっしりとした骨組みが必要不可欠。雪が降ることが少ない地域でも同じような強度につくっています。それからこのあたりは気持ちいい風が吹くので、開口を大きく取った風通しのいい設計で、住み心地のいい空間づくりを心がけていますね。
またOB客さまが千何百人といるので、リフォームにも力を入れています。アフターメンテナンスの専任スタッフがお客さまのお宅を巡回訪問して、コミュニケーションを取りながらリフォームのアドバイスを行っているんですよ。このメンテナンス専任スタッフは、定年を迎えて一旦退職になった大工の再雇用の場としてもいいのではないかと考え、その方向で計画を進めています。なんでも知っている熟練の知恵は、お客さまにとっても心強いのではないでしょうか。
家業を継ごうとは考えず、自らも建築の道へ
社長は早くから「家業を継ぐ」という志を持っていたんでしょう。工業高校の建築科に進学して、着々と建築への道を進み始めました。一方の私は、実は家業を継ごうとまでは考えていなかったんです。でも大学に進む時には、なぜか建築学科を選んでいました。考えてみれば、私が小さい頃は大工さんが住み込みで働いていて、若い大工さんに遊んでもらったり、お風呂に入れてもらったりと、家で寝起きをともにする毎日。私自身も子どもながら、「コンコン」と釘を打つマネをしていたんだそうです。建築がそれだけ身近な存在だったので、この道を選んだのも自然な流れだったんでしょうね。
大学卒業後は大手のゼネコンに入り、大阪で現場監督としてやりがいを持って働いていましたが、時はバブルの時代。建設ラッシュで休みが取れず、夜中まで仕事が終わらないのが日常でした。そんな時に、父から「帰って来い」と言われたんです。このままでは身体が持たないと不安になっていた矢先だったので、家でやってみるのも面白いかな、と頭を切り替えることができました。ゼネコンはなかなかやめさせてもらえなかったですけどね(笑)。
私は家業に入ってからも現場監督として働くかたわら、経営にも携わり、全体を統括する立場になりました。日本建築士会連合会が認定する「専攻建築士」という制度があるんですが、建築士もお医者さんのように専門分野を明確にして、お客さまがニーズに合った人を探せるように設けられたものです。8つの分野があるうち、私は「生産専攻建築士(戸建住宅)」として登録されています。いわば現場のプロフェッショナルであることが認められているものですが、これが、定期的に講習を受けないと更新してもらえないという厳しいもの。手前みそではありますが、学習や努力を怠らない建築士である証にもなっているんですよ。
営業がいらない、営業する余裕がない会社
当社の組織は、本社が川場村にあり、社長をはじめ、棟梁、大工、現場監督など工事にかかわる職人たちが所属。このほかに専属の大工を4組抱えています。こちらの高崎営業所は私が責任者で、設計スタッフが常駐し、モデルルームをはじめとする営業活動を行う形です。営業といっても、お客さまの相談に応じたり、モデルルームを案内したりするのは設計スタッフの仕事の一環としています。
初めていらっしゃったお客さまに最初に聞くのは、「竣工の期限はありますか?」ということ。限られた人数で工事を行っているため、実はお客さまに待っていただいている状態が続いているんです。だから最初に聞いて、工期が合わなければ断るしかありません。見積もりまで進めてから間に合わないとわかったら、逆に失礼になってしまいますからね。当社の状況を知っている設計事務所などは「来年の○月なんだけど……」と、ずいぶん前から依頼の予約を入れてきます(笑)。
ほかにも、当社で家を建てて満足していだいたご家族が、奥さまの実家、ご主人の実家、ご主人のおじさんの家、そのまた息子の家と、一族で5軒のご依頼をいただいたこともありました。ありがたいことにお客さまのご紹介も多く、当社には営業をかけてまで仕事を取る余裕がないんですよ。
釘1本で違う家に!大工の技量で家が決まる
「『止まっていればいい』という仕事なら、今頃隙間が開いてますよ!」
大工から始まった当社は、「大工の技量で家が決まる」と心の底から痛感しています。木材を取り付ける作業ひとつにしても、「止まってればいい」という姿勢なのか、釘1本1本に心をこめて丁寧に打つのかでは仕上がりが全然変わるんですよ。できたての時には同じように見えても時間が経つとガタがくるから、メンテナンスに行くと本当によくわかります。
昔、忙しい時に大工を外注したら全然ダメでした。メンテナンスに行った時にダメだとわかったら、その時点で直さなきゃならない。手間うんぬんよりも、お客さまに対して気まずいし申し訳ないですよね。だからこそ、当社は厳しい修行をこなした社員と、限られた専属の者にしか大工仕事を任せることはありません。設計事務所などは現場で当社の仕事ぶりを見ているので、一度一緒に組むと必ず次の仕事を依頼してくれます。お客さまにも、当社以外にもいろいろ見てみた方がいいとアドバイスしているんですよ。たくさん見て納得して、当社に戻ってきてくださるお客さまが大勢いらっしゃいます。
大工を社員として抱えているのが当社の特徴
社員として一から育てた大工の技術が生きる木造住宅の事例
昔から、大工といえば棟梁が一人社長を務めるような、社会保障とはほとんど無縁の職業でした。若い頃から「職人になりたい」と考える人はけっこういるものですが、保障がないということであきらめてしまうことが多く、それが職人がどんどん減り続けているという日本が抱える問題のひとつの要因にもなっています。今の若い子ははっきりしていますからね。歳をとったら身体が動かなくなるんだから、60歳になった時に退職金が出るほうがいい、と考えるのが普通でしょう。
その点、当社は技術の継承こそ最重要だと考え、未経験の見習い大工を正社員として採用し、一から育てています。普通の会社員と同様に、社会保険や厚生年金保険への加入、福利厚生、有給休暇なども完備しているわけです。このことを知っている高校の先生からは、「来年度は新入社員を募集されますか?」と問い合わせが来ることがあるんですよ。保障がきちんとあって、なおかつ興味のある大工仕事ができるということで、先生たちも大事な生徒に就職先として勧めやすいのではないでしょうか。
2015年、「技能五輪」で念願の全国1位に!
「LIXILメンバーズコンテスト」地域最優秀賞をはじめ、受賞歴は多数
ただし、当社の修行ははっきり言って厳しいです(笑)。最初の1年でついていけるかどうかが決まりますね。5年間みっちり修業した後、晴れて大工として一人前と認められます。初任給はぼちぼちですが、一人前になればもちろん、それなりの給料を出しますよ(笑)。自営業の大工と違い、現場がない日もしっかり修行はできますから、当社の大工は若くても腕がいい。昔ワルだったような子もいますが、修行していくうちに大工仕事のおもしろさにのめりこんで、めきめきと技術を習得していきます。今の若い大工は「在来木造」の技術を学んでいない人が多いですが、当社の大工はみんな、ほかの工務店ではこなせない古民家やかやぶき屋根などの改修までもできるほどの腕前です。
23歳以下を対象とした「技能五輪」という、中央職業能力開発協会が主催する若い職人を育てるための大会があるんですが、2015年の全国大会では「建築大工」部門で、当社の社員が優勝に輝きました。それまでも群馬県代表で大会に出た社員はいましたが、全国1位というのはさすがにうれしかったですね。誇りに思います。
当社の大工はみんなまじめで実直で一生懸命。身体を動かして仕事をするのが大好きで、暑い中、寒い中でもなんとも思わずに楽しそうにやっています。周りから「関さんのところの若い子はちょっと違うよね」「いいものをつくろうという精神がある」と言われるんですよ。30歳以下の実力者がたくさんいるので、これからがますます楽しみです。
当社では「省エネルギー住宅」が当たり前
太陽光や風などの自然エネルギーを取り入れたパッシブデザインの長期優良住宅の事例
住宅に関する税金の軽減措置や住宅ローン金利の優遇などを受けるためには、省エネルギー等に配慮した家であることを認められることが条件になります。当社は省エネルギー住宅の基準のひとつである「長期優良住宅」を標準としていますので、税金の軽減措置や金利優遇の対象となり、エネルギーの節約に加えて予算面での節約も可能です。
また、日本の「エネルギー基本計画」の重要施策である最先端の省エネ住宅、「ZEH(ネット・ゼロ・エネルギー・ハウス)」にも取り組んでいます。ZEHとは、日々の生活で使う照明や冷暖房などの「消費エネルギー」と、太陽光発電や燃料電池などでつくり出す「創エネルギー」を1年間で比べ、その差がゼロ、または創エネルギーのほうが多い住宅のこと。当社は2020年度までに提供する住宅の過半数をZEH化することを宣言した「ZEHビルダー」に認定されていますので、今後ますます精力的に取り組んでいきたいですね。
ボランティアや寄付で、地元へせめてもの恩返し
社会活動としてボランティアや寄付を始めたのは、父である現会長が社長の時代です。会長は仕事がなかった時に地域の人たちに助けられたことで今の会社がある、「恩返しをしなきゃ」と事あるごとに言っていました。
活動内容は多岐にわたりますが、木工教室を開催したり、木製品を寄贈したりと、大工の腕を生かせることが中心です。廃材やおがくずは当社が捨てると産業廃棄物になりますが、畜産や農業を営む人たちに畜舎やビニールハウスをあたためる燃料に使っていただけば、経費が浮いて地域の人たちの喜んでくれる顔も見られて、一石二鳥。OB客さまをご招待してのバーベキュー大会も毎年開催し、去年は450名ほどが参加して大盛況でした。ガレージセールでは地域の人たちと親しく接することができて、社員一同喜んでいます。こうした活動は参加されるみなさんも楽しみにしていただいていることが伝わってきて、うれしい限りですね。
当社の長期的な目標は、「ずっと継続していく会社」。いい仕事をして喜んでいただいて、ずっとお客さまの家をメンテナンスできるように会社を継続したい、ただそれだけなんです。どうぞ、本物の木の家を建てたい方は当社にご依頼ください。技術と心を兼ね備えた大工、現場監督、設計スタッフが勢ぞろいでお待ちしています。
HOUSEBASE 代表取締役 植村将志
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